各収容所では、時間つぶしのために絵や彫刻などの美術品を作る人が多くおり、有田焼の絵付け師だった捕虜が描いた花札も残る。特にニュージーランドのフェザーストン収容所には大工や製図技師、建築家ら職人経験を持つ捕虜が多かったとの記録が存在する。 絵の具の代わりに手に入れやすい薬品を使って絵に色をつけたり、収容所に自生する広葉樹を使って彫刻や寄せ木細工の箱を作ったりしたという。 ▽図画工作の影響も 完成した作品を看守に渡してたばこと交換するほか、親切にしてくれた地元の農民や、傷の手当てや看病をしてくれた看護師らに作品を贈ることもあった。フェザーストン収容所の敷地からは木製のマージャンパイが多く出土するなど、どの収容所でも捕虜らが娯楽に興じていたことがうかがえるという。 キムラ氏は「こうした作品がこれまであまり注目を浴びることがなかったのは作者が有名な戦争作家などではなく一般人だったからだが、手先の器用な人が多かったのではないか。明治以降、初等教育に図画工作が導入された影響も見てとれる」と話す。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース